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今更エウレカセブン

by C on 5月.08, 2008, under essay, traceroute


見出した後でエウレカセブン映画化の話を知った。

先月頃から少しずつエウレカセブンを見ていた。全五〇話。珍しく長いアニメ。
初めはさっぱり何が何やらで分からなかったり、定番物語の焼き直しかと思ったりしたけれど、十数話を越えた頃から味わいが出て来た。

レントンが月光号を飛び降りてチャールズに拾われた。
あぁ、ホワイトベースを飛び出したアムロみたいだなと思うし、きっと誰の目にもそう映るのは明らかなんだ。そもそも月光号の子供達三人はカツレツキッカそのままだし。そもそも…まぁいいや。
と、ここで分かり出す。きっとこの物語は模倣とか言われる事を恐れず気にせず受け流し、真っ向勝負でこの設定で少年成長の冒険譚を創り出して居るんだ。

今日は三八話まで観た。
タルホの子供、レントンの父、そんな物語。
嘗てVガンダムでマーベットの子供に関わる逸話を観る自分の視点はウッソ側だった。思春期の少年、子供の立場から考えた。けれど今は子を成す親の立場で物語が入って来る。エウレカセブンはそんな愛憎劇や親子・家族関係の挿話が同じ様なアニメ(ってのは全年齢向けのロボットアニメ、かな)に較べて生々しい。
誰しも大差在れ恋し愛して子孫を残して絶えて行く。理屈無しで俺も子供が欲しいと言う思いがよぎった。

王道路線の割には激しい揺さぶりは無い。けれど、五〇話と言う長い時間でじわじわと登り詰める良作だと思う。音楽の趣味は余り合わないけど。但し服飾の趣味は結構面白くて、ダンバインがちょっと入っている。あの感覚を巧く引き出して呉れてるよな。

ここ数年、アニメから遠離っていたので、実際はこれが平均的な内容かも知れない。けど俺はその真偽すら知らないので、こんな感想。

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分散と単位

by C on 4月.22, 2008, under essay


仲間内では早々に帰国したけれど、どうやらそれぞれもぼちぼち戻り始めている。会いたいなぁ。

距離とは条件でしかないから、再会の可能性を決定付けるのは意思なんだよね。離れているとか時間が合わないとか都合がとかなんとかかんとか、制約が存在するのは当然で、そのしがらみを解いてまで会おうとする意思を保持したか。

とか言ってるのは、会おうぞよと言ってるんじゃないから。
言いたいのは、自分以外へ理由を分担させる意思の存在。それとは又別に、独立した生活を保つ為に必要な甲斐性も在り、それらは表裏一体かな。生活の負荷分散装置。

しかしさ、時間の単位は人の生活感覚に沿って適度に散らばっているよな。
一年とは三六五日。
一日とは二四時間。
一時間が(略)。
七日間で一週間。
一年に二十四節気。
単位ありきか、人の生活ありきか、鳥卵に思えるのでどちらが先行したかは考えないけど、俺等が取り扱い易い様に単位が構成されている。
それはつまり、俺等はその時間単位枠で物事を片付ける事に慣れ過ぎているって事じゃないか。一時間で片付くと考える枠を崩して、八〇分で決める、五五分で、そんな意識の持ち様も新鮮で良いと思う。

以上、友達が帰って来る件で考えたお話。

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今だから鎮魂歌

by C on 4月.08, 2008, under essay


天気が悪く、今日は一日風が吹き荒れていた。
終わりを放棄した様に風は吹き続けるし、その中でどんなに小さな植物であろうとすっくと空へ伸びている。ありきたりな自然な自然を想い、自然の不思議を覚える。おそらく子供の頃には何の不思議も無かったろうし、別に大人に成って想い続けて来たのでも無い、ただふと気がついた。俺等人と較べて短期間の天寿を全うする生命と、意識を関知させない自然とは、その桁違いの時間感覚を跳躍して互いに同時代に生きている。雨風は人にとっては永遠と言える時間で無限回の現象を放出し続け、草木は何日か先には枯れてしまうか人に有無を言わさず手折られてしまうかもしれない不定の未来を超越してただそのまま生きている。

生きる、変化する、変わらない、相互関係、時間、ありのまま、多種多様な言葉を子供は説明されて知る。しかしそれは経験と繋がらない、独立した知識で、知識と経験とを繋げて古来から伝えられ続けてきた言葉の真実に少しでも近づく。無論真実に到達はしない。斑雲から漏れた月光に照らされた畔道の様にして、覚束無い足元を一歩一歩進めて行く。

今だから言える、知り得る、つまり、今は言えない、知らない事も在る。

俺の存在理由はその、世界を知り獲得する欲望と表裏一体に在る。

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友達など要らない、僕はこの世を否定する

by C on 3月.13, 2008, under essay


先の項目で書いた様に、今月は筋肉少女帯を借りた。目新しい曲は無いけれど、血を滾らす出来る曲が少ない昨今これらを聴くしかない。
こう書いてはみるけれど、何故こうも心に深く突っ掛かる曲が少ないのだろう。

  • サンフランシスコ
  • 踊るダメ人間
  • サボテンとバントライン
  • これでいいのだ
  • 小さな恋のメロディ
  • 暴いておやりよドルバッキー
  • 蜘蛛の糸
  • カーネーション・リインカネーション
  • 釈迦

筋肉少女帯ならこれだ撰。半端に九曲か。
選り抜きにすればこれらの曲なんだな。お馴染みの日本印度化計画は俺としてはそれ程評価が高くないのさお馴染みの皆さんしゃららしゃかしゃか。

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困っていたことと必須のアドオン

by C on 3月.11, 2008, under essay, traceroute

Fxにて、ダウンロード先を変更すると、[OK]を押しても設定ダイアログが消えない。[キャンセル]なら消える。つまり、ダウンロード先の変更を反映することが出来なかった。

解決策。
手荒にアンインストールと再インストールを行った。プロファイル関連はここを参考にバックアップして移動。これで無事解決。

最近会社のPCにFxを入れてみたら、思いの外移行が簡単だった所為も在って、アンインストールに踏み切った。Foxmarksでブックマークは同期。世は事も無し。

ついでに、個人使用で必須のアドオン(など)。

実際、このくらい在れば事足りると言えばそうなんだが、仕事も考慮すると色々増えてしまう。

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アルバイト化

by C on 3月.04, 2008, under essay, traceroute

月曜日から本郷三丁目にアルバイト通いを始めた。
今月は週三日。今週は月木金。よって今日はお休み。

前職は孤立のエンジニアや人が入ってからも指導側だったので、アルバイトとして上からの指示待ちをするのは少し新鮮。同時に、大学を休学して入社した半社会人時代を思い出す。業務内容は異なれど、規模で在ったり、人々の雰囲気に何処か当時の面影を見つけ出す。

折しも部署はサービスリリース直後で、且つ社員さん等はそれぞれ原稿の執筆で暇が無く、且つ俺のPCに入れるFlashも準備されていない状態で昨日はぼんやりと環境構築や自分勝手なAS3の勉強で一日が終わった。
そんな状態なので、当初月火水だった出勤日を後半にずらした、と言う事も在るのだが。

取り敢えず、と言う事でサービスのソースや、コーディング規約資料を与えて貰い目を通したけれど、それらの資料からこれから来るであろう仕事の期待が高まる。そう、アルバイトと言う決して高くは無い条件ながらも、自分の技術を伸ばせる可能性が在るに違いないこの会社。それに時間の融通は利き易いし。

まぁ、期待出来るには違いないが、遣る事は皆目見当付かないので、週末を楽しみにしよう。

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ゼルダの伝説 夢幻の砂時計

by C on 3月.04, 2008, under essay


ブックオフにて二千円程度だったので、通勤のお供に良いかなと思って買った。

ところがどっこい(うみへいく)、思惑外れが多々在った。

操作。十字ボタンを全く使わない。
説明書を読んで知ったので、始める前はどうかなぁと思ったが、数分ほどでそれなりに使いこなせる(前転は未だに下手)。

そして物語を進めていくと気付く。あぁ、これはDSのゲームなんだなと。
ゼルダと言う大看板のゲームにも関わらず、従来のコントローラ操作を根こそぎ覆してまで遊ばるユーザインタフェース。俺ならこのゼルダは成功と評価しよう。ボタンが主操作、マイクやペンはおまけやオプション、と考えがち(だろ?)なゲーム設計をしっかり引っ繰り返し、ゼルダの謎解きに適合させた。

それはつまり、移動中の空き時間にでも、にはちょっと合わないと言う結果に成った。
俺の操作が下手な所為も在るけれど、激しくペンアクションをする場面が多々在り、人前でがさがさやるには些か恥ずかしい。マイクに向かって息を吹き掛けたり声を出したりする場面も在るし。

購入目的とはやんわりずれが出たけれど、DSを持っているならこんなゲームが一本は手元に在ってもいいなと思うゼルダだった。
しかしこれまでのゼルダを期待している人にしてみれば、解せないのかなとも思う。二千円と言う価格がちょうど良かったのかな。

ちなみに。
俺がやったゼルダはGBの夢を見る島のみで、DSの進行もボス二三体って処なので、今後評価が変わらないとも限らないけどさ。
進行状況はボスを二体倒した処。

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理無し

by C on 2月.26, 2008, under essay

Flashを作っている。
するとお客さんから“ここをこうして”と要望が来る。

錬金術の様に明らかに無理、と言う要望は少なく、『軽微―あそことこれの変数を変えればいいか』から『重大―う~んこれまでのクラス設計を見直す必要が在るなぁ』までの範囲には大抵収まる。

「無理!」は無い。
しかし。
しかし。

そこはきっと予算や納期を勘案しての無理が必要なんだろうなぁ。

重大のみならず、百の軽微だって大変なんだよ。

きっと要望要件に重み値を付けて、数字としての判断資料を作った方が…それで世の中丸く治まるかどうかは別として、必要だろう。

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牛皿

by C on 2月.25, 2008, under essay, traceroute


ミノタウロスの皿。藤子・F・不二雄の短編で特に有名な話じゃないかと思う。
俺にとっても特にお気に入りの話だ。自己を持った人と人が分かり合うとは、文化と文化とが分かり合うとは何かを知らされる作品。

卑近にも《感覚がずれている》人は数多く居て、時々起こる認識のずれが世の悲喜劇を起こす原因だったりするけれど、それが文化圏と拡大されるとややこしい問題になりがちだ。それについては敢えて例を挙げるべくもないと思う。

たとい、論理としては至って明確にずれて居て、お互いにそれを自覚していたとしても、だから何故?の論駁層でお互いに相手と歩み寄る事が出来ない。その恐ろしさが在る。それをいなして気にせず生きる人の性分はやはり凄いし、その間隙を露わにするこのお話も凄まじい。

と言う訳でこの本等も欲しい。

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藍より出でし青袴

by C on 2月.24, 2008, under essay, traceroute

二十八になった父の元に俺が産まれた。
それはつまり、俺が父の半生までは生き過ぎた事を示す。

先週末、父が半月板手術で入院したので仙台に行った。術後翌日の見舞いだったが、ギブスもせず、絆創膏を二つほど膝頭に貼り付けて相変わらずの様子だった。相変わらずとは言え、直に還暦を迎える年齢、往年に較べれば髪も黒よりか灰色に近く、一挙手一投足は無目的に為されず少しずつ熱量が節約された動作に絞られて来る。
仕方が無い。加齢即ち老化と考えても致し方ないまでに差し掛かっている。

母が午後の電車で帰るので、その見送りで妹も帰り、残った俺と父で午後から夜に掛けて緩慢な入院病棟の時間を過ごす。家に居る時と違い、時間を費やすには話をするより他に無い。
何年、或いは十数年か振りで、父と二人、何時間か当て所ない話をする。
丈夫に見えて、家族の中で父は入院経験が尤も豊富だ。それは俺の産まれる以前もそうだし、体を酷使する仕事柄、避けられない事かも知れない。老いはあちこちを侵し、使えなくなる身体を憂い、ぼそりぼそりと父は嘆く。どうにもしようがない。坂を転がる鞠の如く、摩擦で減速が在ろうと一方向に向けて誰しも転がり続ける。

俺に出来る孝行とは一体何だろうと思い倦ね、しかしこうして病室で取り留めのなく父子の会話を紡ぐより、他に無い。

ここ数年、帰省とは殆どそんな思いに浸る行事だった。
けれどそろそろ行いを改めよう。

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